夢は実現する

夢の変遷 ユニットバス〜温水床暖房との出会い 2006年02月27日

【このコーナーは私大島健作の夢の変遷です。よろしかったら読んで下さい】 
第2回

大島健作大島建材店の仕事をするようになり、ひととおり仕事を覚えてからのことですが、毎日仕事をしていても、何か満ち足りないものがありました。心の中は乾いていたのです。1回きりの人生だから、何かにぶつかりたい、もっと生き生きとした仕事をしたいと思っていました。だから、何でも良かったのです、出会ったもの、出会った人すべてに影響され、のめりこんでしまうという、全く単細胞な私でした。

最初に出会ったのが、タカラスタンダードのユニットバス、昭和60年のことでした。研修会に出席して、「これだ!」と思いました。これが最初の「これだ!」以後この言葉が何回も続きます。その当時、ユニットバスはアパートやホテルに使うのが普通で、一般住宅に採用するのは稀でした。

山陰でもいち早く、戸建て用ユニットバスに取組み実績を重ねました。最近では当たり前になりましたが、当時はユニットバスを採用してもらうには、それはとても大きなエネルギーが必要でした。そして、決まった時の大きな喜びは快感でした。

しかし、当社だけの商品ではありません。ユニットバスの良さが浸透し始めると、他社も売り始めたのです。当たり前のことですね。そして、63年頃から、建材店なのにリフォーム事業に進出しようと、日本増改築産業協議会(ジェルコ)の本などを読みあさり、勉強し始めました。

その後、現在の家内と結婚して、松江市に所帯を持ちましたが、以前からの家内の夢だったブティックのお店を出すことが先に実現しました。私の夢「リフォーム事業への進出」は後回しになったのです。しかし、このことが良かったのかもしれません。

平成5年の秋に家内が身ごもり、それも双子で、お店を閉めて大東町へ帰ることになりました。翌年の平成6年3月のことでした。私としては、松江市で自分の仕事を広げたいという思いがあったのですが、それもかなわず、夢破れて山河ありの心境でした。(大げさですね)

平成6年の7月に双子の女の子が生まれました。上の男の子も双子だったので、私の町でも話題になったようです。その年の秋に灯油ボイラーなどで取引のある山口県の長府工産の方から、温水床暖房を勧められました。私の頭に直感するものがありました。2度目の、「これだ!」

温水床暖房との出会いでした。
続きは次回です。

| コメント (1)

コメント

 
いよいよ文才が開花してこられましたね。
次がとても読みたいです!

投稿者 ぶんちん : 2006年03月03日 12:43

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